風に吹かれて

2012年7月22日、以前のブログに掲載していた記事です。

 

先祖を強く感じるとき、この記事を思い出す。

 

 

【風に吹かれて】
 
どれだけたくさんの道を歩き回れば
人は一人前だと呼ばれるようになるのだろう

どれだけ多くの海を越えていけば
白い鳩は砂浜で羽根を休めることができるのだろう?

どれだけ大砲の弾が撃たれれば
もう二度と撃たれないように禁止されることになるのだろう?

その答えは、友よ、風に吹かれている
その答えは風の中に舞っている

どれだけ長い歳月が経てば
山は海に削り取られてしまうのだろう?

どれだけ長く生き続ければ
虐げられた人たちは晴れて自由の身になれるのだろう?

どれだけ人は顔をそむけ続けられるのだろう?
何も見なかったふりをして

その答えは、友よ、風に吹かれている
その答えは風の中に舞っている

何度見上げたら
人は本当の空を見られるようになるのだろう?

人々が泣き叫ぶ声を聞くには
二つの耳だけでは足りないだろうか?

どれだけ人が死んだら
あまりにも多くの人たちが死んでしまっていることに気づくのだろう?

その答えは、友よ、風に吹かれている
その答えは風の中に舞っている
 

 

この歌を作ったのは、白人のボブ・ディランである。
 
この歌が流れていた1960年代のアメリカでは
 
黒人の奴隷扱いが酷かった。
 
私の先祖である、お爺ちゃんや、お婆ちゃんたちは
 
どんなひどい屈辱を受けながら生きてきたんだろうか?

黒人は奴隷である、と
 
いったい、誰が、何の為に、決めたのですか?

道を歩いているだけで、放水され
 
道を歩いているだけで、殴られ
 
道を歩くことさえ、許されない現実が、その時代、確かにあった。
 
オデッタ・ホームズという、アフリカ系アメリカ人の
 
フォーク歌手、女優、ギタリスト、および人権運動家である彼女の言葉。
 
『辛いこともみんなで分かち合い
 
苦しいことも乗り越える強さを持てるように、歌があるの。
 
もしも、良い時代だったら、誰にも不安が無いならば
 
フォークソングなど必要ないのよ。
 
私たちは、ボタンひとつで動くロボットではないから
 
人として生きていくことに、苦しみがあるの。
 
だから、心を癒してくれる、励ましてくれる何かが必要なのよ』・・と。
 

先祖と深く繋がったとき、霊界にいるダディ方お婆ちゃんはこう言った。
 
『どんなことがあっても、唄さえ歌っていれば
 
生きていけるのよ。人生って、そんなものよ!』

オデッタも、私のお婆ちゃんも
 
残酷な仕打ちを受けても生き抜いてきたからこそ
 
『歌があれば、生きていけるのよ!』と、言えるのだと思う。
 

子孫である私も、似た経験をし、いろんな屈辱を受けて育った。
 
毎日、毎日、虐めを受けて泣いていた。
 
『なぜ、この姿で生まれてきたの?何の為に?』って
 
子供の頃、ものすごく、疑問に感じていた。
 
でも今は、その答えをもらっているから
 
この姿で生まれたことに感謝している。
 
先祖と似た経験をさせてもらえたし
 
先祖と似た経験をして、本当に良かったと思っている。
 
それでも、先祖からすれば、私が受けた屈辱など
 
ほんの小さなことに過ぎないだろう。

私だったら、耐えられただろうか?
 
道を歩いているだけで、放水され、殴られることに。
 
きっと、耐えられなかっただろう。。
 
先祖たちは、なぜ、生き抜いてこれたのだろう。
 

『お爺ちゃん、お婆ちゃん、どうやって生き抜いてきたの?
 
どうやって、生き抜いてきたの?』
 
ふたりは、ニッコリ笑って答えてくれた。
 
『神を信じていたから』・・と。
 
 
どんなことをされても、どんなことがあっても
 
神様を信じていれば良いのだと言った。
 
神様は、ちゃんと見て下さっている。
  
 
あと2日で誕生日。
 
この姿で生まれた理由。
 
黒人が、なぜ奴隷扱いされたかの理由。
 
今月になって、すべてを知ることができました。
 
神様に感謝します☆